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 コラム 色彩お薬
 

コラム 色彩 お薬
第1回 はじめに カラーセラピーって?


 今回は最終回です。最終回ということで楽しく読んでいただきたいと思い、今日は雑学として「楽しい色の名前」についてお話します。
無数にある色はなんらかの形で呼び名を定め共有しないと、やり取りができません。しかし色の数は無限とも言われ、人の目で認識できる数だけでも1000万色ほどもあります(詳しくは第4回−色彩お薬番外編− 虹の話をご参照ください)。今回はJIS規格で定められた「慣用色名」の中から、私がおもしろい!と思った色の名前とその由来を挙げさせていただきます。どうぞお楽しみください。

四十八茶 百鼠 (総称)
化学染料が発見された1856年以前は、植物や貝や虫などからの染料と、土のなかに含まれる金属が酸化してできる顔料で衣類を染めていました。天然染料から作る微妙な色合いは、今の時代のようにカラフルな色ではなかったのですが、庶民は数少ない色合いを楽しんでいたそうです。
 天然染料しかなかった江戸時代、江戸や上方を中心に豊かな商人が次々と誕生し、華麗な町人文化が生まれました。豊かな町人は衣服にお金をかけるようになり、ぜいたくで派手な暮らしをするようになってきました。そこで、幕府は奢侈(しゃし)禁止令、すなわちぜいたくを戒める法律を定めて、これに歯止めをかけようとします。庶民が食べてはいけない食材を決めたり、かるたや花火といった遊びまで禁止にしたこともあったようですが、最も厳しかったのは衣服の素材や色に対する制限でした。つまり、庶民が身につけられるのは麻か綿の素材で、色も藍染の青色、そして茶色と鼠色といった地味な色に限られていたようです。
 しかし、幕府の禁止令ぐらいでは庶民のおしゃれ心にブレーキをかけることはできなかったようです。江戸時代の後期になると、地味な色でも微妙に色調の変化をつけると「粋(いき)」に映るところに目をつけ、次々と新しい色をつくって染め、ささやかなおしゃれを楽しむようになります。「四十八茶百鼠(しじゅうはっちゃひゃくねず)」は、その頃に生まれた言葉で、多くの茶色や鼠色(48種類の茶色、100種類のねずみ色)がつくられたことを意味しています。四十八とか百というのは語感を良くするための語呂合わせで、実際の色数を表したものではありません。そんなにあっても識別できませんし。
 いろんな文献を調べると、茶色には璃寛茶(りかんちゃ)・利休茶・白茶・焦茶・江戸茶・雀茶など約80種類、鼠色には桜鼠・鳩羽鼠(はとばねず)・鴨川鼠・源氏鼠・玉子鼠・浪花鼠など70種類近くの色があったといわれます。また、人気の歌舞伎役者が好んで衣装の色に使ったことから団十郎茶、梅幸茶といった茶色も流行しました。それだけではなく、着物の裏地に高級な絹を使ったり、羽織の裏地にカラフルな絵をあしらったりと、見えないところでおしゃれでも当時の人たちは楽しんでいたようです。



最も薄いと言われる藍色。当時の職人が藍染をするための甕をちらっと覗いただけでは布は染まらないことから、ほとんど色のついていない藍色をこう呼びました。



明治中頃にできた化学染料を使って鮮やかな青緑色を、当時の新橋花柳界の芸者さんが好んで着たことによる名前。



絹一疋に対し紅の花を一斤だけ使って染めた色。平安時代ごろ紅花は大変高価で、庶民は「紅」の文字の付く色の着用を禁じられていました。そのため基準として設けられたのが、絹一疋に対し紅一斤で、この濃さまでなら許可するとされた標準色です。



インドの北東部ベンガル地方(今のバングラディッシュ)から伝えられた赤褐色顔料を使って染めた色。江戸時代の人々が「ベンガル」を「ベンガラ」と訛って発音したことが始まり。



これには諸説あります。納戸の薄暗い様子を表した色・江戸幕府の納戸にかかっていた幕の色・納戸を管理する役人の衣装の色など、はっきりしたことは今もわかっていません。


色彩お薬最終回−終わり−
1年間お読みいただきありがとうございました。





 監修

 
紀野 裕美
 
(カラーコーディネーター、カラーセラピスト)


 
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